Nonfiction Story ~ Working days and yet ... ~

My dogma and bias - 独断と偏見

200 years from the Battle of Waterloo

1815年6月20日、ワーテルローの戦いが終結。今年で200年となります。
世界史を習っていたので、戦の名前は覚えているものの、内容は忘れてしまいました…。(苦笑)
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大まかな内容は次の通り。

1815年6月18日に、イギリス・オランダ連合軍およびプロイセン軍が、フランス皇帝ナポレオン1世率いるフランス軍を破った戦いである。ナポレオン最後の戦いとして知られる。
1812年6月、フランス皇帝ナポレオン・ボナパルトは64万の大軍を率いてロシア遠征を開始するが、結果は兵力の大部分を失う惨敗に終わった。
(中略)
1814年4月6日にナポレオンは退位を余儀なくされ、地中海のエルバ島に流された。

ナポレオンと聞いて、ロシア遠征を思い浮かべましたが、それとは無関係みたいです。
ただ、彼はエルバ島から戻ってきちゃったので、大西洋上のセントヘレナ島に流され、そこで生涯を終えたのは有名な話だと思います。



・6月19日(金)
5時半過ぎに就寝、15時過ぎに起床。新たな内服薬V6を使用。
1日中、自宅でポヘーっと。



・6月20日(土)
5時半過ぎに就寝、15時過ぎに起床。新たな内服薬V6を使用。


夕方、実家の祖母の様子を確認し、帰宅。



24時、F1オーストリアGP・予選。(BSフジ)

Q1
雨は降らなかったが、コースにはウェット部分が残り、難しいコンディション。
ほとんどのマシンはインターミディエイトで出陣。

しかし、中盤あたりからドライタイヤで出陣するドライバーが増え、最終的にはドライタイヤで走行。
順位も目まぐるしく変化した。

結果、ロズベルグがトップタイム。
脱落したのは、ペレス、バトン、ライコネン(!)、メルヒ、スティーブンス。
アロンソはペレスより0.02秒速いタイムを出し、かろうじて突破。


Q2
全員ドライタイヤで出陣。
ヴェッテルはタイヤを残す為、1発アタックだったみたい。

トップタイムは、再びロズベルグ。
脱落したのは、マルドナド、エリクソン、サインツJr.、リチャルド、アロンソ。
マクラーレンは、今回もQ3進出ならず。


Q3
今回もヴェッテルは1発アタック。
最初のアタックでは、ハミルトン、ロズベルグとメルセデスの1-2。

そして、終盤のアタック。
ヴェッテルは…3位。ハミルトンが1コーナーではみ出し、黄旗。
ロズベルグは? こちらは最終コーナーのグラベルにはまり、黄旗。

後味の悪い終わり方ではありますが、1度目のアタックでPP決定。
ハミルトン、ロズベルグ、ヴェッテルがトップ3。
以降、マッサ、ヒュルケンベルグ、ボッタス、フェルスタッペン、クビアト、ナスル。最後に、アタックしなかったグロージャン。


赤牛の2人は、エンジン交換で10グリッドダウン。
マクラーレンの2人は、色々あって、25グリッドダウン。

決勝レース、どうなるんでしょうね〜。



P.S.
ケイナーさん、2日分。

(予定地)

(from J.Cainer JP version)

P.P.S.
今年6月6日付の日記を更新。



2012年8月1日より、余計なものがブログの真ん中辺りに表示されてます。(URL)