Nonfiction Story ~ Working days and yet ... ~

My dogma and bias - 独断と偏見

富士登山計画

2日目。
標高3000m(登山口7合目)の大陽館で1夜を過ごした友人含め5人の登山隊は頂上に行くべきかそのまま下山すべきか悩んでいた。
それは、夜11時ごろから始まった雨。
それが朝食終了時まで続いていたのだ。


そして、私たちの願いが通じたのか、天候は良くなってきた。


時間は忘れた。
しかし、私たちはこの館から頂上へと旅立った。


まずは、少し上にある本7合目へ。
どんどん空気が薄くなるし、登山道も険しくなる。
そして、少しずつ、しかし、着実に上へと進んでいった。


私はそこで杖に焼印を押してもらった。
標高…忘れた。後で書く。
これから毎回私は焼印を押してもらう。


8合目、本8合目、8.5合目でそれぞれ休憩。
…それから私は酸欠に陥った。


登山道の途中で何度も何度も休憩しながら、これこそ、「着実に歩を進め」ていた。



旧9合目らしき場所で先行した友人たちが待っててくれた。
そこで長期の休憩を入れた。
とはいえ10分くらいだったと思うが。


鳥居を1つくぐった。
もう1つあるが、そこはたぶん頂上だろう。



…ゆっくりゆっくりと歩を進め、最後の鳥居にたどり着いた。
風のたどり着く場所…Kanonですかい。(汗)


いや違う、「雲のたどり着く場所」だったな。
山裾を雲が上っていく姿は圧巻としか言いようがありませんでしたね。


時間は12時ごろかな。
頂上に何とか着きました。
そこで味噌ラーメン(800円)を友人(醤油ラーメン、800円)と2人で座って食した。
頂上だからかもしれないが、美味しかった。
酸欠だからかもしれないが、頭痛がきつかった。
それだけだった。(ぇ)


カルデラを見てから、私は別の友人と2人で下山開始。
残る3人は「本当の」頂上(3776m)に向かった。


最初は下山道を足の痛みに耐えながら進む。
ゆっくりと休みながら進む。


7合目で登山道と合流。
友人の足もすこしずつ厳しくなり、私も厳しい。
私が泊まった宿でステッカーを購入。


そこからはこの登山道特有の砂走り。
それが登山道の名前にもなっているらしい。


登山靴を履かなかった代償はここに…。
靴の中に火山灰などが入り込む。
何度も休憩しながら砂走りで下山していく。


そして、細すぎる下山道が登場。
木々の間を進んでいく。


が、それもつかの間。また砂走りになった。
砂と、そして、限界に近い体力と戦いながら下っていく。
友人の足も限界だ。(後に聞いた話だと、私のペースに合わせてくれたので膝が痛くなってきたとのことらしい)


残り30分なる場所に着いたが、なかなか5合目の売店群に到着しない。
足の指に痛みが走る。


コメントできないくらい、下山は足の痛みや体力との戦い、そして、下山の最後のほうは雨も降ってきた。
何もかもとの戦いで、なんとまとめれば良いのか分からなかった。


午後4時20分ごろに5合目に到着。
足は限界、いや、何もかもが究極的な疲労
足の指も限界だった。


友人3人が降りてくるまで小屋の中で待った。
彼らが来たのは1時間後。
私とともにラーメンを食べた友人がグロッキー状態で帰ってきた。
残る2人はピンピンしてたが。


最終のバスとなる6時10分の便(御殿場駅前行)まで小屋で休憩。
暖炉などで暖まり、お土産など買って、バスに乗り込んだ。



その後、泊まる部屋(マンションの1室)を探し、グロッキー状態な2人を部屋に放置し、外食に行った。


食べた場所は、和食や洋食、中華などがいろいろ入っている定食屋。
私はピザを頼み、残る2人よりも先に完食した。
タバスコ魔人なので、タバスコが半端ない位かかっている。(自分が思うにそこそこ限界)
ピザの生地の軟さには困ったが、味は良かったからいいや。


そして、コンビニ寄って部屋に戻った。



本物のウノはとことん弱くて、最下位争いがほとんど。(そして最下位になる可能性も高い)
結構きつかったなぁ。


台風は今のところ微妙だった。
明日、帰れるか、帰れないか、名古屋で決まる。(!!!)



眠ったのは午前1時。
翌日は7時半に起きるので、あまり寝れない計算だが…気にはしない。
慣れてるし。



最終日の日記は少しカットするかもしれません。
いろいろあるんで。(関係者に迷惑かかるかもしれないし)
それでは。