Nonfiction Story ~ Working days and yet ... ~

My dogma and bias - 独断と偏見

F1最終戦スペシャル

とうとうF1が終わってしまった。
ジョーダン、ミナルディザウバー、B.A.Rホンダ…。
ある意味で歴史を作ってきたこの4チームの名前が事実上消えてしまう。(ホンダは来年もあんまり変わらないと思うが)


ミナルディ、1度も表彰台に上がる事ができなかった。
フェラーリエンジンを手に入れた91年でさえ、4位が最高だった。


ジョーダン、99年にランキング3位になったのが最高。
なぜここまで衰弱したのか。
理由は知らないものの、03年にチーム最後の優勝を決めた。
そのレース展開は波乱そのものだった…。
ブラジルGPは毎年波乱が巻き起こるものの、2003年までは、今と違って春先に行われていた。(サンマリノの前)
秋に行われたのはつい最近の事である。(ラルフ・シューマッハぐらいの年代なら、ブラジルが開幕戦だったときもある)


ちなみに、2003年ブラジルは完走10台。
それも、赤旗中断という、現在では稀な終わり方だった。(決勝以外のセッション赤旗中断は何度かあるみたいだが…特にベルギー)
最初はライコネンが優勝となっていたが、サンマリノの前にフィジケラが優勝という事になり、サンマリノでその為のイベントが行われた。
それで、今年ルノーに入ったフィジコは開幕戦で「初めて」優勝のシャンパンボトルをもらった。
彼にとっては2勝目なのだが、上記波乱があったためだ。(ブラジルのときは2位のシャンパンボトル…3位とほぼ変わらないといわれているが)


ザウバー
90年代にF1に入ってきたが、それまではル・マンカーのようなプロトタイプマシンを作るチームだった。(GT4に「ザウバーC9」というマシンが収録されているが、それである。私は持ってないが)
Cは確か、ザウバーさんの奥さんのイニシャルと聞いた事があるが、本当かは知らない。
ニック・ハイドフェルドが2001年に表彰台に上ったり、2003年にハインツ・ハラルド・フレンツェンが表彰台に上ったりと、F1シーンで何度か表彰台に上ったことがあるものの、いずれも3位。2位は確か無かったはずだ。



中国GP。
決勝は何とも言えなかったですね。
私の1番嫌いなドライバー(応援するときもある…予想のため)、ミハエルは中国との相性が非常に悪いように思えます。
気、精神、うーん何だろう。なんか、雰囲気的に合ってなさそう。


決勝リザルト。

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