Nonfiction Story ~ Working days and yet ... ~

My dogma and bias - 独断と偏見

ノリック死去、そして…

まず、MotoGPのオフィシャルから。(英語版を翻訳、翻訳違いがあるかも)

 motogp.comは元MotoGPライダーの阿部典史(ノリック)の32歳での逝去に、とても衝撃と悲しみを覚えている。

 この日本人ライダーは94年から2004年までの10年間、レースキャリアを積んできた。その彼は東京近郊で交通事故に遭い、意識不明となっていた。しかし、まもなく死亡に至った。

 阿部は94年の日本GPでワイルドカード選出により出場、93年の全日本選手権500ccクラスでタイトルを獲得、それを引っさげてのMotoGP(500cc)デビューだった。このレースでは、ケヴィン・シュワンツやミック・ドゥーハン等のトップライダーに果敢にも挑戦するも、残り3周でクラッシュ、リタイアとなった。
 95年、ケニー・ロバーツ氏のチーム(ヤマハ)でフル参戦(500cc)を果たす。

 キャリア3勝の阿部が初勝利を飾ったのは96年の日本GP。ここからの数シーズンは、ランキングのトップ10に入る頑張りを見せた。彼のキャリアはケニー・ロバーツ氏、ウェイン・レイニー氏、ルイス・ダンティン氏、エルベ・ポンシャラル氏等のヤマハ陣のフォローがあったお陰で成り立っていた。
 出場した144戦のうち、17戦で表彰台を獲得、彼のMotoGPのキャリアは2004年最終戦バレンシアGPで幕を閉じた。

 MotoGPから退いた彼は、全日本選手権に参戦したり、MotoGPの日本GPでパドックに訪問したりしていた。

 ドルナとmotogp.comはこの場において、彼の家族に哀悼の意を示します。

1行目「世界王者」→「MotoGPライダー」に修正。(10月8日)



2番目、神奈川新聞から。

 7日午後6時20分頃、川崎市川崎区大島1丁目の市道で、人気2輪ロードレーサー阿部典史さん(32)のオートバイと、横浜市鶴見区東寺尾1丁目の会社員千野智彦さん(51)のトラックが衝突した。阿部さんは、病院に運ばれたが約2時間半後に死亡した。
 ヤマハのホームページなどによると、阿部さんは「ノリック」の愛称で知られるオートバイのプロレーサーで、1993年に全日本ロードレース選手権500㏄クラスで史上最年少チャンピオンになった。翌年からオートバイレースの世界最高峰「世界ロードレース選手権」(MotoGP)に参戦し、世界のトップライダーとして活躍。96年の日本GPなど計3回の優勝を果たしている。
 川崎署の調べでは、現場は片側2車線で歩道寄りの車線を走行していた千野さんがUターンした際、センターライン寄りを後方から直進してきた阿部さんと衝突したという。現場はUターン禁止だった。

3番目、ヤマハ発動機さん。(10月8日追記)

 「Y'S GEAR Racing」(ワイズギア・レーシング)から今シーズン、全日本選手権JSB1000クラスに参戦していた阿部 典史(あべ・のりふみ/32歳)選手が、10月7日午後6時20分頃、神奈川県川崎市で2輪車を運転中交通事故に遭い、午後8時50分頃治療先の病院で亡くなりました。 
 阿部選手は1993年史上最年少で全日本最高峰500ccクラスのチャンピオンを獲得。翌年94年も全日本スーパーバイク選手権に参戦していましたが、シーズン途中にヤマハに移籍、同時に世界選手権500ccクラスに参戦。1995年からフル参戦を開始し、優勝3回、2位4回、3位10回などと活躍。今年は全日本選手権に復帰して活躍する他、7月の鈴鹿8時間耐久レースに初参戦。国内外モータースポーツ振興を牽引する人材として多くのファンから親しまれていました。

ヤマハ発動機株式会社 代表取締役社長 梶川隆
 「この悲報に接し、深い悲しみでいっぱいです。阿部選手は日欧米やアジア諸国はもとより、世界のファンの皆様から親しまれ、世界のモータースポーツ界を代表する貴重な人材でした。今年は14年ぶりに日本国内でのシリーズ戦に参戦することになり、国内のファンの皆様から改めて期待が寄せられていた矢先のことで残念でなりません。ここに阿部選手の他界を悼み、心よりご冥福をお祈り申し上げます」

MotoGPサイト(英語版)にも似たような内容が載ってました。



また、石川県出身(金沢?)のライダーも9月中に亡くなっています。
私自身はその方を知りませんでしたが、事故があるのは知ってましたし、その死亡記事が新聞に出てきてビックリしました。
ライダーの名は奥野正雄さんです。
本文はそのサイトから。

 皆さんに、残念な御報告がございます。
 私の実弟、奥野正雄は、本年、8月26日に宮城県村田町菅生で行われた、全日本ロードレース選手権第5戦スーパーバイクレースST600クラス決勝戦にて不慮の事故に遭い、宮城県仙台市東北大学病院内、高度救命救急センターにて、懸命な治療を続けてまいりましたが、9月26日午後12時49分、重症脳外傷、脳ヘルニアにて、全日本チャンピオン目前にて、享年32歳にて、永眠いたしました。
 正雄は直前、何度も蘇生を繰り返し、懸命に戦い続けました。
 私が、福島先生のところへ行く準備をしていた矢先の出来事でした。
 生前は多大な応援をくださり、心から感謝いたします。
 今後のことは、まったく白紙の状態ですが、皆さんのご意見を聞いて、家族一同で、頑張っていくつもりです。
 今後、落ち着きましたら、改めて、コメントさせていただきます。本当にありがとうございました。

 また、岡山での第6戦のレースがございましたので、悩みに悩んだ結果、新聞などの報道に制限をさせていただき、報告が遅れたことを、お詫び申し上げます。
 沢山のレース関係者に、動揺等を与えてはいけないという、私たち、家族の判断です。
 正雄は、皆さんに一目みてもらおうと、腐敗防止処置をされ、穏やかに眠っております。
 最後まで戦い続けた、正雄を今後とも宜しくお願いいたします。
 また、モータースポーツ界の発展と安全を祈り、御報告とさせていただきます。

彼は今年のST600クラスのチャンピオン有力候補だったそうです。
ご冥福をお祈りいたします。